実はずっと前から、下記の質問文を書いていたのですが、なかなかトラックバックできませんでした。
引っ込み思案なもので。 この機会に、ずっと気になっていることをひとつ質問します。 もう、何度も同じ質問を受けているかもしれませんが。 僕が気になっているのは、枡野浩一短歌集『てのりくじら』、『ドレミふぁんくしょんドロップ』(実業之日本社)におさめられている「口笛」の短歌についてです。 『てのりくじら』/24ページより ●口笛を吹けない人が増えたのは吹く必要がないからだろう(枡野浩一) 『ドレミふぁんくしょんドロップ』/48ページより ●さまざまな説が飛び交う 口笛を吹けない人が増えた理由は(枡野浩一) 2冊の短歌集の中で、この2首だけは、はっきりと互いが関連しているように見えます。 しかも上記の2首は、一見すると時系列的に前後しています。 普通の流れで考えると、 1. 「さまざまな説が飛び交う」ことに気づく ↓ 2. 「吹く必要がない」という自分なりの結論に達する ですが、実際の記載順は逆になっています。 つまり、口笛を吹けない人が増えた理由として「吹く必要がないから」と、自分なりに結論づけたあとで、誰かから他の説を聞いたりして、「あれ? ちょっと待てよ……それだけでもない気がしてきた」と思い直しているストーリーが横たわっているように感じます。 口笛の短歌を2首掲載したのも、この記載順にしたのも、当然意図的だと思います。 2冊にまたがって、そこはかとないストーリーを感じさせるこれら口笛の短歌について、そこにある意図や経緯などが聞きたいなぁ……と。 元々、記載順に生まれてきた短歌なのでしょうか。 それとも短歌集に掲載する際、意図的に順序を変えたのでしょうか。 こういう細かいひっかかりから、枡野さんの「本作り」や「短歌」に対する何かが見えそうな気がしていますが、いかがでしょうか。
by satoshi_ise
| 2004-09-26 21:51
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