父の日なので、父のことを書きました。
「父のこと」 父が脳梗塞で倒れたのは、ちょうど二年前のことだ。 実は、当時のことはあまりうまく思い出せない。母から連絡があったのか、実家の近くに住む姉だったか、妹だったか。当日に連絡があったのか、それとも後日だったのか。記憶が不鮮明だ。 いずれにせよ危険な容態だった。妻と搬送先の病院へ駆けつけた。父の意識はなく、枕元にはドラマでしか見たことがない緑の表示の計器のようなものがあった。口には透明のマスクが付けられていた。 何をするべきか、わからなかった。ああいうときは何を話しかけるのが正解なのだろう。促されるまま父の手を握ると、ただ泣けてきた。 父は昭和一桁の生まれでもう高齢だし、僕はもう四十を過ぎた中年だし、こういうことは当然起こることだし、たとえ誰かに万一のことがあっても、泣いたりしないだろう、と思っていたのに。姉や甥のいる前でみっともない、と思いながらも止められなかった。あの頃、すでに心のバランスを崩していたのかもしれない。 じっとりとした面会時間の中で、父は、時折大きなあくびをした。そのあくびがなんだかすごく不穏な兆しに感じられた。不謹慎なのだけれど、あくびのたびに枕元の緑の計器の動きが気になっていた。 やや頑固で理屈っぽくて恰幅のいい父の、まるで場にそぐわないのんきなあくびに、また泣けて仕方なかった。 母から「もしものときはあなたが喪主をやってね」と頼まれたり、医師から延命治療の同意書の記入を求められたり、となかなか息苦しい日々だった。 なんとか山場を越えて、父は一命をとりとめた。当初は歩くことや話すことはおろか、口から物を食べられるようになることも難しいと言われていた。しかし、父は数カ月の入院と退院後のリハビリによって、医師も驚くほどの回復を示した。 右半身は麻痺し、言葉や記憶に障害が残っているものの、食事は左手で器用に食べ、今では車椅子なしで歩いている。トイレも介助なしで行ける。自分の名前や生年月日は答えられないけれど、言葉がまったく出てこないわけではなく、意思の疎通はできる。 なにより父は、倒れる前よりもずっと穏やかで、ほがらかになった。いつも照れたように笑っている。 父が倒れて以降、できるだけ実家へ行くことにしている。僕を息子だと認識しているのかは、はっきりしないけれど、近しい人間だということはわかっているようだ。僕の顔を見ると、ボソリと「よく来たな」とか「お疲れさん」とか言って、あとはニコニコしている。 実家を訪れたある日のこと。リビングルームで、妹と昔の写真や文集を眺めていると、アルバムから一枚のハガキが出てきた。「もうこれ以上は無理」というくらい茶色く古びたそのハガキは、父宛の年賀状だった。差出人は「○○タカ」(○○は父の姓。……つまり僕の姓。伏字にする意味は、あまりない)となっている。僕にも、妹にも「タカ」なる人物が誰なのか、わからなかった。妹が隣に座っていた父に聞く。 「ねえ、このタカさんって誰? お兄さん?」 父は、すぅと真顔になり、毅然と答えた。 「いや、違う。タカさんはお兄さんじゃない」 一瞬、父が倒れる前の父に戻ったのかと思った。そのくらい別の顔だった。 「じゃあ、誰?」 妹が聞くと、父は今の父の顔に戻り、照れたように笑いながら「いや、お兄さんじゃないんだ。タカさんは」と言った。誰なのか、頭では分かっているけれど、言葉が出てこないようだった。 照れ笑いに見える表情は、もどかしさをごまかしているのかも知れない。 ちょうどそこに母がお茶を持ってきた。妹が母に「このタカさんって誰?」と聞く。 「ああ、タカさんはパパのお母さんよ」 父の母親(僕にとっての祖母)は、僕が生まれる前に、すでに亡くなっていて、僕らは名前すら知らなかったのだ。 自分の名前や生年月日はわからなくても、母親の名前は覚えている。母親とは、そういう存在なのだ、と思った。 そして、父のことを書くつもりが、結局母親のことを書いている。 母親とは、そういう存在なのだ、と改めて思う。
by satoshi_ise
| 2013-06-16 00:00
| 日記
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